oldie-pointの壁が見えてきました。ひとつひとつ活動の拠点、ホームページ、ブログ、車両、PCほか、歯医者(笑)を6月からこの2ヶ月いろいろ整えている2ヶ月でした。整えることをすることで思い出したことがありました。大学3年生からの1年間卒業まで体育教師のなることを描き大学に入ったものの違和感を感じ、オーストラリアにワーキングホリデーに行くと心に決めて貯金と段取りに入った。 hotmailのアカウントを作り、地球の歩き方のワーキングホリデー版を購入、ビザ取得や現地シドニーの家の手配、航空券の手配、英語の勉強(独学)など、様々な段取りを情報を集めながら一年ちょっとかけて自分でやったのを思い出した。オーストラリアでバイクに乗りたかったのでバイクの免許を取り、国際免許を取得しバイクが買えそうなバイク屋さんを現地で探す。などなど。また、国際免許は一年で切れるので現地の教習所に行って言葉もままならないのにテストを受けて実技試験を受けて免許を取った。「あなたはドライビングは問題ないけど英語には問題ありね!頑張って勉強しなさい!」と教習所の先生から言われたのも覚えています。ここに住みたい!と思えば、どうやったら住めるのかを考え、ビザが必要ということが分かり、どやって取れるのかを調べたらダイビングインストラクターが近道だということがわかればケアンズに引っ越して、インストラクターになる。見えた課題や目標に対してのアプローチはこの時に培われたんだなー。と感慨深い。
今月に入ってからは母と一緒に与和の浜に降りて母が集めたゴミを拾い箱まで袋に詰めて入れることを始めた。改めて美しいゴミのない浜を未明から隅々まで歩きゴミを拾っている母を後から見つけるために浜に降り姿を見つけると安心感と同時に神々しささえ後ろに纏っている。ゴミを拾っていると自分が飲む水ですら持っていると邪魔になるのでと水すら持てない。私のルーティーンは浜に降りて母の姿を探し水筒に入った水を母に差し出すところから始まる。6年間続けていることを思うとしんどいならやめればいいのにとはもう言わないことにした。逆に全うしてやれるように支えてあげようと。個人には当たり前だけれども個性がある。彼女がそこで積み上げてやってきたことはその塊だ。分別はもちろんのこと袋が勿体無いからとぎりぎりまで詰める。持ち上げるのが大変なのに・・。拾い箱に入れる時にも回収してくれる人が取りやすいようにと整頓して入れている。拾ったボックスに瓶を分けて並べて入れてある。こんなにも人のことを考えながら、息を切らしてゴミを拾い続けている人はいないだろう。もっと楽しくできる方法だってあるだろう。でも、それは彼女の個性なのだと思う。様々な考え方があるだろう。でも、いろんなものを超えてあのフィールドはその個性を纏っている気がする。
メディアが増え評論する人が爆発的に増えた昨今、是非すぐ何かものをいうのではなくその現場をしっかり観察して、体験して感じて発言を発信をできる人が増えて欲しいと思う。私もメディアを始めた身としても褌をしめて業に当たろうと思います。母のことばかりですが、私の父ももちろん尊敬している人のひとり。機会を作って是非、敬意を持って描こうと思っています。
Commentaires